そもそも、「コンサルタントになろう!」と思ったのは26歳の時だ。
当時の日本は、プラザ合意後の円高不況にあえいでいたが、国民の英知を結集し「自動化技術」などにより、苦境を乗り切った。
商社マンとして、日本経済、産業界の底力を目の当たりにした僕は当時、「センサー」にハマっていて、自動化のカギを握るのは「センサー技術」なのだろうと思っていた。
しかし、多くの科学者は、味覚と臭覚について、「センサーによるデジタル化は不可能ではないか?」との見解を示していて、人間に残された「仕事は、味覚と臭覚に関わる専門職しかないのかなあ」と思っていた。
しかし、自分が、食品工場のラインの検査部門で、出来上がった製品の味見をし、ニオイをかいでいる姿は想像ができなかったのである。その上、確か村田製作所だたと思うが、味覚と臭覚のセンサー化に成功し、「とうとう人間の仕事は無くなるなあ」と危機感を持ったのだった。
それで、「人間らしい仕事として生き残るためには、どんな仕事があるのだろう?」と人生で初めて職業研究をした。
そして、運よく目に入ったのが、当時はまだ一般的ではなかったが「コンサルタント」という存在だったのである。
コンサルタントなら、自動機の導入の判断もできるし、経営戦略を考え方針を示すことができる。
「将来はコンサルタントになろう!」と決めて、そのために必要な転職を繰り返したのだ。
運良く、新聞社に転職できたのも大きかった。
興味のある業界や社長さんの話を、名刺一枚で聴きに行ける。あんなに便利な仕事はないと思った。
たぶん、人生で、仕事が面白いと思ったのは、新聞記者時代だけだろう。
そうこうしているうちに、日本は「バブル経済へ突入」。素人投資家までもが株を買いあさり、土地の売買をして多額の富を得ていた時代だ。
新聞記者としても「人手逼迫(ひっぱく)みたいな記事ばかりの時代。
会う社長ごとに、深いため息をついていた。「どこかに人はいないかなあ・・・」
そこで僕は、こういう時代こそ「人材をしっかり育てることが重要だろう」と、教育機関の取材をたくさんした。
その結果、「専門学校」のフレキシブルなカリキュラムに魅力を感じ、取材先へ自ら売り込んで転職したんだ。
産業界へ、必要な人材を育成し送り込む・・・いい仕事だと思った。
もっとも、理想と現実は違ったけどね。
その転職先で、新聞社の支局長だったがために断りもなく「広報室長」を押し付けられた。
25歳から管理職だったから、平社員としてゆっくり過ごそうと思ったのに・・・。
その仕事の一つに、新設校の企画と開校準備があった。
上司が「介護福祉士の養成校を作りたい!」と言い始めて、僕に当時の厚生省へ行って来いというんだな。
正直言って、介護だ、福祉だって興味はなかったんだよ。
でも仕事だからしぶしぶ行った。
久しぶりに、省庁へ行って、新聞記者時代の血が騒いだかなあ。若くて生意気な担当官と戦いながら、何とか開校し、その学校の責任者にされてしまった。
開校までのプロセスで、すでにかなりの勉強をしていたから、何時間でも話せるくらいの知識は持っていた。
何年か別科で教歴を積み、厚労省で審査を受け、4年かかって本科の専任教員として認められ、主要科目の授業を担当したんだけど、社会福祉概論、老人福祉論、障がい者福祉論、老人・障がい者の心理の4科目とオリジナル科目「施設運営論」が僕の担当だった。
老人福祉論を教えると、どうしても、政府が、1989年に「高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)」を策定したが、94年に後半5年分を拡充と見せかけて修正(急速な高齢化を見誤っていたんだよ)、整備目標を引き上げるなどの見直しを行い、「新ゴールドプラン」を策定した。この結果、ホームヘルパーの増員、デイサービス施設の増設、特別養護老人ホームの増床などを行ったことまで教えなければならない。
さらに、1999年から5年間、「ゴールドプラン21」を発動!このプランでは、ホームヘルパー(のちに小泉純一郎厚生大臣により「訪問介護員」と名称変更を指示される)の増員目標を数値化したことに注目したんだ。
絶対無理だろう?と思ったから。
確か、計画当初14万人(?)くらいだったホームヘルパーを5年で36万人に増やすって狂った計画だったような気がする。
2003年かな、途中経過を取材した新聞社があったんだ。その時の数字が、27万人弱だたと思う。(この統計も怪しいけどね)
4年かけて、13万人暮らしか増やせなかったのが、あと1年で9万人増やせるわけないじゃん!
そう思ったことをよく覚えている。
そして、ゴールドプラン21終了後、僕は厚労省へ向かった。
15年もかけた壮大なプランなんだから、当然「報告書」がまとめられているだろう。結果が知りたい!
しかし、担当課へ行っても「結果はまとめていません!」とのこと。
「いや、多額の税金を使って実行したプランを2回も修正しておいて、報告書をまとめないってどういうことだ?」と関係職員に詰め寄りまくった。
「企業が、年度計画を立てて、その結果をまとめないなんてありえないぞ!」と。
民間がやっていることを、いくらキャリアが少ない厚労省と言えども、やらないわけはないだろうと。
しかし、たらいまわしにされた挙句、どの担当も「結果は存在しない」というんだな。
仕方ないから、「せめて、具体的な数値目標を立てたホームヘルパーが、最終的に何人になったかだけども教えてくれ!」とくらいついたら、労働局へ回された。
その資料もないらしいが、かなり厳しく攻め立てたら、出してきたのが、記事に差し込んだ写真の資料1枚。
はっきりと「介護士は不足しない」と書いてある。
いやいや、既に、そこら中で、介護士不足で悲鳴を上げているじゃあないか?
これは、何とかしなければならない!
将来は「コンサルタントになろう!」と決めていた僕が、「少子高齢化」をコンサルティングのメインテーマにした原点はこの1枚の労働局から奪い取った陳腐なレポートだったのでした。
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